日本美術院の高橋天山が語る「日本画とは?」


日本画の魅力  <“趁無窮 ” むきゅうをおう>


 日本画について様々な切り口で、色々な人があまりにも的外れに語ったり、中途半端に思いを述べたするので、私なりに日本画の本当の魅力についてまとめてみようと思い立ちました。大観先生の書かれた日本美術院の綱領の冒頭に、“一切の藝術は無窮を趁ふの姿に他ならず 殊に絵画は感情を主とす世界最高の情緒を顕現するにあり”とあります。“無窮を趁ふ”むきゅうをおう。と読みますが、大観先生が座右銘として、大切にされていた言葉と聞いております。この一言に日本画の魅力は集約されているのですから、多くを語らず、作品で勝負せよと、大観先生にお叱りを受けるかもしれません。
 しかし、日本人自身が日本を見失ってしまった今日、あえて日本画の真の魅力について余言を重ね、少しでも興味を持つ人々に、真実を伝えようとする努力も決して無駄ではない、と思います。
 この綱領で使われている、絵画という言葉は日本画の事、に違いないのですが、大観先生がこの綱領を書かれた当時は、わざわざ日本画と言わずとも、おのずと絵画といえば日本画の事でしかなかったのです。言うまでもないほど、魅力に溢れていたのですネ。
 そしてキーワード、“無窮 ”と言う言葉の出典は、なんと古事記から。

豊葦原の千五百秋の瑞穂の国は(とよあしはらのちいほあきのみずほのくには)、
是れ吾が子孫の王たるべき地なり。(これあがうみのこのきみたるべきくになり)
宜しく爾皇就きて治せ。(よろしくいましすめみまゆきてしらせ)
行矣、宝祚の隆えまさむこと(さきくませ、あまつひつぎのさかへまさむこと)
まさに天壌と窮無かるべし。(まさにあめつちときはまりなかるべし)
意味・・・この日本の国は天照大御神の直系の子孫たる代々の天皇さまが統治されるべき国である。

とのお言葉です。つまり、「皇統の維持と祭祀の継続」をする事で我が国が未来永劫の恒久的な発展することをお示しになっています。窮無かるべし、、。大観先生が、常にこの金言を、襟を正して目標とされておられた、その真の意味はなにか?学ぶべきはこれデス。


@ 日本画の真価

 横山大観や上村松園、東山魁夷、絵のことにあまり興味のない方でも、雪舟や光琳など、新旧の有名な日本人画家の一人ぐらいはご存知の筈です。まして、品位と言うことを識る人にとっては、たまらない魅力をたたえた、日本絵画は、勿論わが国固有の、伝統文化です。日本の伝統的絵画を日本画と呼ぶようになったのは、いつの頃からでしょうか、おそらく明治時代、本格的な西欧化が始まると同時に洋画に対しての国画を日本画と区別する必要から生まれた言い方でしょう。現在の学会に認められている歴史書に載ってないことは事実として認めず、貧しい想像力と、偏った知識から推測されたことを鵜呑みにするとすれば、あらゆる文物はシナ経由で日本に入って来、まね好きで器用な日本人が個性を発揮して、それぞれに改良を重ねてきたのが、いわゆる日本固有の伝統文化である。と言うことになりますが、源氏物語と言う様な、千年の長きに渡り、文化芸術の根幹を貫いてきた立派な総合芸術が存在している唯一つの国家と言う事実ひとつ取り上げてもわかるように、さらに、抹殺されて来た古代歴史書の残欠に光を当てれば尚のこと、日本こそあらゆる文化文明の源であると言わねばなりません。勿論源氏物語は、どこにも無い、日本固有の文化ですネ。
 健全な想像力を発揮して、大局的な史観に立ち還れば、あらゆる文明文化の発信源としての日本と、そのお陰で、文化文明が生じた諸外国と言う関係が、気の遠くなる様な長い過去から続けられてきた事実に行き着き、そのことを無視して、全く逆様に捉えているのが現代人の認識であると言えましょう。
 その証拠には、日本人はあらゆる文物を取り入れる柔軟性があり、さらにそれを改良して独特の高みへ育ててしまう能力があるのも、昔取った杵柄とでもいいましょうか、太古の昔、すべての文物が、その実、日本から発信されていた物であることが、今においても引き続き我々日本人のDNAに強く刷り込まれている故なのであります。
 漢字を与えられる前は文字もなく、穴居生活であって、ただの野蛮人でしかなかった、などと言う歴史認識を断固拒否するところからのみ、日本文化の真価が見出されて参ります。
 つまり、日本画という言葉は、人類の暦史上、極々最近まではなかった。日本画だけが、真の絵画であって、絵といえば、日本画しか存在しなかった。農耕を知らず、狩猟さえろくに知らず、他を侵略し、略奪することでしか生きて行けなかった諸外国に、文化が興りよう筈はないのです。ラスコーやアルタミラの壁画も詰まるところ、日本の影響によって生まれ、狩猟民族の束の間の憩いとして描かれたものに過ぎません。洞窟と言う自然条件に依り、たまたま残されただけの話。稲作はインドシナあたりが発祥であって、やはりこれも、シナ経由で日本に定着した。と言われてきましたが、これが又浅薄な断定であって、平安時代ですら、東北地方は温暖の地。雪も降らなかったと言う事実に見ても、数百年、数千年単位ですら、気象の実態を把握しきれないのに、放置稲作が現代のインドシナで、行われていることのみに囚われた、浅はかな一学説に、過ぎません。古事記にある、“斎庭の稲穂”の神勅に依る処からこそ、文化文明は生まれるのであって、つまらぬ一学説からは、なにも生まれはしないのです。
 日本画の現在を見渡すと、本来の伝統文化としての姿からかけ離れ、嫌もオウもない洋化によって、まさに絶滅状態にあるといえるでしょう。絵画をはじめ、文化のすべては日本が、その発信源であったことを今一度、思い起こすべき時です。
 本末転倒を正し、大観先生の座右の銘である、“無窮を趁ふ”の心に立ち帰る事、それこそが日本画の真の魅力となるでしょう。それでこそ日本画が、日本伝統文化の健全な牽引役と成り得るのです。


A日本画の歴史

1、日本画の源流

 日本画の源流は、中国四千年の歴史にルーツがあるらしい。と漠然と思わされている事自体、が、誤りです。絵画芸術というものは、生活の必要上生まれる物であるけれど、ある程度、文化文明が育ち、生活に潤いが生まれなければ成り立ち得ないものです。その昔、世界中で、土着の日本人のみが、神代の時代から受け継がれてきた知恵を生かして、生活に工夫を重ね、他から略奪するのではない、大自然の力を活かす、本当の自給自足を実現していました。そして、そこにだけ、文化が生まれ、芸術が育つ土壌が、それこそ、日本に初めて産まれたのです。もし、シナ、朝鮮からの影響で日本画が産まれたとすると、日本画独特の桁外れな造形世界が、厳として存在し続けてきた理由がありません。なぜならば、影響された?モノの方が断然、立派で面白い、と言う事実。それは、結局、根本的な取り違え、意図的な錯誤、があったことの証査でしょう。その根底に隔絶した独自性があったからこそ、世界初の、グローバルプリントたる、浮世絵版画と言う、極ささやかな日本美術の断片ですら、ルネッサンス以来の西欧に文化革命を起こさしめたのです。ご存知でしょうか?現在のコンクリート詰めの近代都市美がうまれたその根本も、浮世絵だったことを。浮世絵から“省略と誇張に依る日本美の造形性”を学んだ建築家、ル・コルヴィジェの発案によって、ほぼ四角に単純化された建築美が、非常に画期的なものとして風靡され、そこから、現代都市美は生まれたのです。つまるところ、六本木ヒルズも浮世絵の所産なのですね。
 ル・コルヴィジェに留まらず、現在のジャパンアニメに至るまで、近代文明の根底にある視覚芸術の本質的価値は、すべて、日本画の卓越した造形性から産まれていると言っても過言ではありません。線で表現する、余白の美、極性を対峙させる、等等の非常にユニークな行き方。
 今日の世界中の視覚芸術のほぼ、100パーセントは、日本的造形力のお陰で成り立っている、とまで言いきれるのです。(この事については、日本画の特質の項で、詳しく述べます。)ところが、日本画は耐久性に乏しい、と言う特色があり、これを、西欧流に言うと、弱点だと言う人がありますが、伊勢神宮で千年以上繰り返されている式年遷宮、のように、旧を捨てて、常に新しくある事そのものが、本当の美である、と言う価値観からすると、むしろそれは、長所であると言えましょう。常若(とこわか)の精神こそ日本独特の美意識で、古来、日本人には、骨董壁はなかった事を知らねばならないのです。古いものだから価値があるとは限らない。清々しい、常に新しい息吹こそが、“本当の価値である”からです。


2、最古の日本画

 現存する最古の日本画といえる作品は、“天平絵因果経”でしょうか?、お経の文字の上に描かれた絵図で、絵の具の優良さ、千二三百年の間大事に保存されてきたこと、等、確かに見るべきところもありますが、公平に言って、芸術作品とはいえず、単なるお経の解説図絵ですから、面白くもなく、常若(とこわか)の日本美とは、およそかけ離れたものといえましょう。もっとも、旧を廃して、常に新しい事が日本美の常若ですから、千年以上も同じままの状態で存在することはありませんね。
 その点、聖武天皇のお身の回りの調度だったと伝えられている、正倉院御物。“鳥毛立女屏風(とりげりつじょのびょうぶ)”には、ほのかに残る墨色の美しさに心地よいものが感じられます。簡素な線描に、当時絵の具が思う様に手に入らなかったのだろうと思いますが、山鳥の羽毛を張り合わせ、女性像の装飾としていたことがわかっていますが、その日本産の山鳥の羽毛は、すでに朽ちて剥落してしまい当時の美しさを見ることは出来ません。
 そのほか、当時仏教興隆時代とて、草創期の仏教絵画として、法隆寺の金堂壁画があったのですが、消失。古墳壁画も在るにはありますが、いずれも問題になるほどの規模ではなく、高松塚古墳壁画などは、化学的保存に失敗して、もう既に消えかかってしまいました。薬師寺の麻布に描かれた吉祥天像など、奈良時代の優品とされていますが、公開するのもはばかられる位、痛みがひどいと聞きます。布や、和紙に描かれる前は、板絵だったので、出雲の八重垣神社には、巨勢金岡が描いたとされる*板壁画が残っていますが、ひどい痛み方で、原型さえよく分からないほど。しかも科学的調査により、平安初期どころか、室町まで降るのでは?とも言われ、伝承しか残っていない大巨匠、巨勢金岡(こせのかなおか)が描いたオリジナルはあったらしいが、今に伝わったものは、描きなおしか、修理したもの。と言うのが実態のようです。“源氏物語絵巻、藤原隆能(たかよし)作”は、平安後期の作であることがわかっていますが、ほぼ全体がヤツレにヤツレ、修復に修復を重ねて、残欠を大事に大事に保存して今日に至っていますが、物語中の人気の場面は、一つも残されておらず、当時の人々がいかに熱狂して奪い合っていたかが、面白いように分るのです。
 鎌倉時代に入ると、神仏関係の絵巻物が現れ、中でも、高階隆兼(たかしなたかかね)作、春日権現霊験記絵巻は、その規模(20巻)、質共に、最高峰とされ、この作品こそ、今日まで残る日本画の模範的名品と言えます。芸術としての高さを基準とするならば、これこそ、日本最古の現存日本画であると言えるでしょう。現在、御皇室の御物管理の三の丸尚蔵館に所蔵され、今上陛下御座位20周年記念展での公開の為にきれいに修復されて一新され、いよいよその光彩を放っているのです。


3、日本画の歴史的価値

 現存する古い日本画は、その殆どが宗教や、政治や、権力や、金力や、何かしらの権威を象徴するためのものであって、そのことは今日も続いていて、そんなに変わってはいないのですが、それは、“歴史の表向き”。残されてなくとも、日常の糧となってきただろう、ささやかな作品はこれまで無限に存在して来ました。現存する作品がないからといって、絵因果経以前に、日本画がなかったとは言えませんネ、むしろ日本人の資質から類推すれば、気の遠くなる太古の昔から絵を描き続けてきたに違いないのです。目的用途は時代と共に、変遷していった事と思いますが、絵画は、日本人の発生からもう既に存在していたのかもしれません。少なくとも、日本画の源はラスコーやアルタミラの比ではないのは確かです。
 我々日本人は、ほぼ全員、幼児期から与えられたクレヨン、クレパス、水彩絵の具、色鉛筆、等で、遊びや、授業で、当たり前に絵を描いて育ちます。これほど絵を描くことがポピュラーな国家が、今も世界で日本だけと言うことをご存知でしょうか。全員に行き渡らすために、驚くべき廉価で、氾濫している、実に様々な絵の具類。質はともかく、量としては紛れもなく世界一でしょう。この事は、日本人の驚くほどの優秀性を日本人自身が気づいていない微笑ましい一例に過ぎませんが、事、芸術に関して、日本人ほど敏感に反応する民族は、他にはいないのです。

日本画の源は日本人自身にある。

    個ではなく、公を主にしなければ生きてゆけない稲作文化の奥の深さから産まれたのが、日本の絵画であります。生活に追われて余裕のない暮らしの中にも、何かきれいな心地よいものを身近に置きたいと言うのは人情。まして、何事にもマメな日本人。ちょっときれいな写真付のカレンダーくらいは、自分で選びたい。少し余裕があれば、目に楽しい物を飾りたいのが普通です。行き着くところは美術品であって、権威の象徴なんかではありません。
 過去に、シナ、朝鮮から移入した目新しい文物を珍重してきた歴史も確かにあったのですが、それらは、ほぼすべて一般人の日常とは、無関係でありました。身の回りに暮らしていたちょっと器用な人が描いてくれた一枚の花の絵こそ日々の糧であって、日本人はそれを当たり前のように享受してきたのです。ちょっと器用な人が、そこらじゅうにいる国。そんな国は世界中どこにもありはしません。
 しかしそんな日用品としての走り描きに過ぎない絵画は、残るはずもない。が、残っていないからと言って、価値なしとは言えませんよね。うわべの“表向きの歴史”と言うものは、ごくつまらないものと言えるでしょう。日常の積み重ねが歴史の真実。とすれば、日常を無視している歴史に、本当の価値はありません。
 これまで私が、大学や、書物などから知識として学び得た、日本画の歴史は、すべて、この種の、うわべの価値しか持たない史観を土台にしたものにすぎませんでした。作家となってどうにも納得できない説ばかり。画家の体験からしても、ありえない発想から、見当違いに下された断定を学ばされ続けて来たのです。ひどいのになると、“日本画の祖は、室町時代の画家たちである”なんてのがある。雪舟などを指しているのですが、雪舟は今からたった500年前の絵師。確かに大天才として、残された名品も沢山あり、なんと6点もの国宝指定がある。ある意味確かに頂点を極めたに違いないけれども、日本画の祖。と言うには時代があまりにも早すぎる。素晴らしい絵師に違いはないけれど、500年前の名人が祖とすると、800年前の高階隆兼、は、いったいどうなる????と言う話で、これは、シナ、宋元画が、足利家の権威を示すための政治的策謀に使われていたことを引きずって、誤って解釈しての暴論でした。天皇を滅ぼして、自分が国王になろうとした、足利家の、シナ画を利用した、権威付けの謀略にただ、踊らされたに過ぎません。
 歴史の捏造はいつの時代にも微に入り細に渡って、ねちねちと、続けられているのですね。宋元画は、確かに一定の価値はあるものの、日本画に勝るとはとうてい思えません。普通に、ただ、古臭いだけです。今に受け継いでる人だって、一人もいません。
 日本画の真の歴史は、結局、名人続出の歴史であって、これほど次々に名人が、途切れることなく生まれ続けている国など、どこにもありはしないのです。ちょっと外国の美術史を覗けばそのくらいのことはすぐに分かるのですが、わざわざ日本の真価を貶めるような考え方は、政治の世界だけに留まらないようです。
 ついでにヨーロッパルネッサンス期の絵画についても大いに誤った史観のあることを申しましょう。
 レオナルド、ダ、ヴィンチを頂点とする絵画が、現在においても権威の象徴として使われていることです。まあ、遺物として残されているものだけを対象にした歴史観しかないので無理もありませんが、ルーブル、も大英博物館も詰まるところ国威の象徴。収蔵品も権威の塊としてのの価値はあります。が、普通の日常にはなんの意味もない。これまた、普通に、古臭いだけです。そしてこれまた、現在、全く受け継がれてはいないのです。とっくの昔に滅んでいます。歴史は真実ならば万金の価値がある。しかし、偏っていたり、捏造だったり、少しでも何かしら意図的なまやかしが混じっているならば、害にこそなれ、何の役にも立たないものです。芸術がその“表向きの歴史”の捏造のために利用されてきたのが、世界の美術史であって、日本画だけが、唯一、真実の生きた歴史に役に立つことの出来る、本物の芸術であります。


B日本画の独自性

 和紙に岩絵の具で描くから日本画なのか?日本の風土に合ったしっとりした表現をするから日本画なのか?描く人が日本人だから日本画なのか???
 日本画とは何か?について、必要以上に語られている割にはどうも、納得の行く解説は見当たりません。歴史の話の中でも述べましたが、日本画はそして、日本画を中心とする日本美術は、他に例を見ない独自の芸術と言えることは確かなのです。
 その理由は、その造形性。造形とは“色と形とを考え、工夫して心地よく結び合わせること”なのですが、その、色と形に対する考え、価値の置き方、が、とてもユニークで、万人の視覚的興味を呼び覚まし、快い影響力を持ち、普遍性を持つ。それは、大きく言えば、宇宙の法則によく合致しているからこそなのです。おそらく、信長公が、強烈に外国を意識して、南蛮貿易などを、積極的に展開したことをきっかけに、日本の美術工芸品は、ヨーロッパへ徐々に流失して行きました。次いで、江戸時代にはいっての浮世絵を頂点として、少しずつ、しかし、確実に、それら日本美術の漣は、ヨーロッパに文化革命を興して行きます。とにかく、西欧では、ルネサンスぐらいから、ようやく、文化らしきものが現れ始め、近代に至るまで、相当長い間、写実一点張りに留まっていたので、それは、いわば、カメラの代わり。機械的に本物に似せてゆくことが美術、と言う次元に留まっていたのです。このことは、シナでも、宋元時代、墨を操っての写実が、大いに盛んになったものの、結局次の展開がないままに、行きづまってしまったことと、驚くほど良く似ています。物に即して、実物に迫るだけに終始していた人々の目には、日本美術の、型破りな造形性は、驚嘆に値するものでした。三次元を二次元に置き換える時に、省略と誇張とを使うと、二次元であっても三次元にも勝る美観を生む事を、初めて知ったのです。なにしろ、白黒写真に絵の具を塗ったほうが良いとまで行き詰まっていた所に、現れた浮世絵版画は、まさに晴天の霹靂。強く感じたものは誇張し、それほどでもないものは省略すると、人に与える印象を変えることが出来る。もっと精妙に考えを深めれば、さらなるインパクトを与えられる。これはまるでマジックのようだ!と。
 このくらいのことなら日本美術ではごく、常識的な事なのですが、初めての人にとっては、全く驚くべき事、であったのです。さらに、例えば、日本画には余白の美、と言う考え方がある。盛り沢山に描出しまくった処を、より引き立てるためには、何も描いていないぼんやりと曖昧な場所を作る必要がある。と言う造形法。かのゴッホは、かなり日本画の素晴らしさをマスターしようとがんばった画家でしたが、このことまでは、とうとう、わからなかった。
 同じように、冷たさ、寒さを表現するのに、寒色ばかりではだめで、寒色をより引き立てるために、少しだけ暖色を対峙させ、却って寒色の抜き差しならない心地よさが表せる場合がある。 あるいは又、繊細華麗な草木の、微細な表情を強調するのに、驚くほど大胆な荒々しい、地塗りを施す。等。反対の性質を上手く組み合わせる事で、美観は生ずる。長短、曲直、寒暖、大小、細粗、明暗、陰陽、、、、有彩色と無彩色、反対色、等等。無数に存在する一対の極性の結合を自在にコントロール出来れば、実在を遥かに優る実感を生むことが出来る。視覚的最大効果が得られる。感覚的なリアリティーが、巧まずして産まれる。実在に頼らずに素晴らしい夢を表現できる。長いものをより長いと感じさせる為には、短いものが、少しだけあれば良い。曲線ばかりでは、混乱してしまうので、適度に直線をまじえれば曲線が美しいリズムを奏で始める。等等。つまり、極性を対峙させて、省略と誇張によって、美を産み出す。これこそが日本画の真骨頂であります。
 写実と言うのは、単なる幼稚な造形法でしかなく、まだ創作の内には入らない。真の創作性は日本画のみに存在する。他はすべて日本画の模倣です。
 無数に出現する極性の対峙を組み合わせて、ある一つの価値観に従ってコントロールする。その価値観の高さは、深い深い熟練と普遍的な熟慮からしか、得られない。万人が快く、美しさの極みと感じられるものを作りうる可能性のある、唯一つの絵画。ソレが日本画です。しかもこれには絶対と言う限界すらない、個性と言うフィルターが、無限にあるように、極性の結合が数限りなくある様に、“無窮を趁ふ”の姿そのもの、どこまでも深い。これこそが日本画の真髄であります。日本美術の核となる日本画は皆さんの想像を遥かに越えた高い価値を有した文化です。 秘められた無限の魅力を湛えているのです。あたかも日本の国柄そのものがそうであるように。
 日本画とは何ですか?と言う質問こそ、ナンセンス。的外れな愚問です。なぜって、もうお分かりでしょう、絵とは日本画のこと。だからですネ。詰まるところ、あえて一言で言うならば、今日の日本画とは、“日本のために描く絵”といえましょう。

平成22年8月記